秀子さんへの手紙3

2024.11.25

秀子さんへの手紙3

秀子、おはよう。入院4日目。どう。痛みは少し和らいできたかな。昨日は日赤に2回行ったよ。 君には行き会えなかったが、1回目は手紙を届けに行った。ブルーベリー畑でウッドチップ撒きを終え、 手伝いに来てくれた人たちとファミレスで朝食をし、西和田に戻ったのが10時半。少し休んで、これから日赤に向かおうと思っていたら電話が鳴った。日赤からの電話だった。電話の表示は 日赤6fと現れる。 昨年秀子が入院していたのは6階だったから、日赤からの電話は「日赤6F」と入力した。

「また異変が起きたか。」一瞬そう思ったが違った。「緊急病棟の看護師の森と申します。

秀子さんは本日午後2時にC棟3階の一般病棟に移ります。

不安が吹っ飛んだ。嬉しかった。もう一般病棟に移れる。

「ちょうどこれから手紙を持って日赤に伺おうと思っていました。伺ってもいいですか。緊急病棟の方でいいですか。」

どうぞ。まだこちらの方にいますので、こちらにおいでください。

車を飛ばした。君に会えなくてもいい。再び君と同じ階の空気が吸える。嬉しかった。想像以上に早く一般病棟に移れた。

日赤につき、看護師さんに手紙を渡した。コルセットの説明も受けた。これまた想像以上に早く仕上がり、 火曜日11日に届くとのこと。 コルセットを付ければ少しでも痛みは取れるだろうか。取れてほしい。君の頑張りのせいで何もかも順調にいっている。

今、毎朝起きて洗面して、外に出、太陽さんが出る方向に向かって祈る。早くも効果が現れた。嬉しいね。

中西先生から昨日電話をいただいた。状況を説明した。

早速指導が入った。「回復とともに私が有頂天になっていた、ことが今回の事故につながった。」この指摘通りだ。 「原点に戻れ。」

ごめんね。中西先生の最初の指導。「焦るな。必ず良くなる。良くなると信じよ。」この原点に戻ろう。

今回の入院生活で、君がせっかく1年かけて回復してきた筋力が再び落ちて動作が困難になるかもしれないが、安心してくれ。 1年間君と一緒に体操し、回復するためのノウハウを身につけた。 回復が少し遅くなっただけだ。しかも今回の事故で、今後はこうしたことを起こさない体験を積んだ

秀子こう考えよう。君に痛みを与えてしまったのは申し訳ないが、大きな事故でなくてよかったと考えよう。 物事は捉え方だ。どうせ起きてしまったことなら前向きに考えよう。

私たちは結婚して40年、どんな時でも前向きにとらえてきたのだ。

会社の経営も大変な時、誰にも悟られず2人で早朝土日、サラ金ボックスの清掃の仕事を受けて数年やったよね。 また、オリンピックの使用後のヒーターの販売。結果的にはこれらが敬君のアメリカの留学費用の足しになった。周りから見ると苦難の連続だったかもしれないが、私たちは一度も大変だと思ったことはなかったね。

経理は今や伝田さんが全てやってくれているからとても楽だが、伝田さんの前はいろんな人が経理をやってくれた。しかし、その後始末は全て秀子がやってくれたよね。

通帳残高が月末0近くになっても、君は私を信じ、どうにかなると一言も愚痴や文句を言ったことはなかった。

こんな私たちを神様は見捨てない。昨日午後3時、日赤の新しい病棟、君の移ったC棟3階に行った。午前中に手紙を届けたので、あえて行く必要はなかったのだが、君の様子を知りたかった。たとえ君に会えなくも。C棟の看護師さんも親切だった。君の症状を色々聞いた。尿路感染症の恐れはもうない。 平熱に戻った。お小水も出た。

食事もしっかり食べている。しかも、しかも。明日から毎日面会ができると言ってくれた。毎日だよ。すごいね。しかもガラス越しでなく、 ベッドに乗った君を私の前に連れてきてくれるという。

面会時間は10分だけしかないが、長さじゃない。10分でもいい。毎日会えることがすごい。入院中の面会時間全て予約しようと思ったら、 毎回翌日の時間しか面会予約できない。ということで、面会するごと翌日の時間を予約する。

毎日行き会うことができれば、1週間2週間はすぐ過ぎてしまうと思う。

しかも日赤のあと回復期の病院に行かなくてもいいかもしれない。即私の手元に戻ってこれる。極力私もそうお願いする。 私の手元でリハビリしよう。またゆっくりゆっくり時間をかけて。

今朝の手紙も結構長くなってしまった。右手がまだ完全に回復してなく、筆を持つ手が痛く握りにくい時が出る。そろそろ限界みたいなので今日はここで止めとくね。午前中この手紙を届け、 午後4時20分面会予約を取れているのでその時間行くから待っていてね。

では後で。今日も一緒。秀子、共に頑張るぞ。

令和6年6月10日5時24分

秀一

この記事のURLとタイトルをコピーする

この記事をシェアする

フォローする