秀子さんへの手紙8

2024.11.25

秀子さんへの手紙8

奇跡か?退院できる

秀子さんおはよう。最高の朝を迎えた。毎日太陽さんへ祈り、誓いが実現した。

明後日月曜日17日退院できるよ。まさに奇跡だよ。 先週の金曜日、圧迫骨折で日赤に緊急入院。骨が直るには安静にして3か月。年を考えるとベッドで3か月いたら寝たきりになってしまう、避けるためコルセットを作り、固定する。

コルセットができるまでに2週間かかり、それから2週間様子を見て退院できるか、手術をするか、リハビリ専門病院に転院するか、検討する。こう言われ、4週間の 病院生活しかないかと諦めていたのが、コルセットが2週間でなく5日目にして君の元に届いた。

ここから奇跡が始まった。7日金曜日に入院し、11日火曜日にコルセットをはめ、13日木曜日、君は車椅子に乗れた。 そして昨日14日、緊急病棟の担当医師、岡野医師から 秀子さんの場合、お話を伺っていると自宅でリハビリするのが1番いいかと思います。ケアマネさん交えての退院後の相談をしましょうか。

「そんなに回復したのか、ならあえてケアマネさん交えての 日を設定すると、その日を設けるために1日2日退院が遅れてしまう。 自宅はバリアフリーになっていて、改修工事は不要。リハビリも今は週2回のデーサービス、週2回の訪問リハ、個人的にお願いしている理学療法士の週3回のリハビリ、これでまた進めていきたいと思っているので、ケアマネさん交えての会議は不要かと」「そうですか。ちょっとお待ちください。整形外科の担当医と相談してみます」相談の結果、いつでも退院していいとのお墨付きをいただき、 なんと17日の月曜日に退院が決まった。 退院日、安全を取り、車いすのまま車に乗って帰宅した方がいいので、介護タクシーの手配をしてもらおうと思った。看護士さんがやってくれたのだが、混んでいて、私が直接やった方がスムーズだからタクシー会社の連絡先を持ってきてくれた。その場でタクシー会社に連絡を直接取った結果、スムーズに月曜日午後2時と決まった。このとんとん拍子の運び。

「即行 即止」の結果だ。

7日に入院して17日に退院。骨の骨折なのに。 周りの誰もが奇跡だという。私もそう思う。でも、私は、神様が私たちを見てくれていた結果で、偶然の奇跡ではないとも思っている。 昨年5月29日退院してからの私たちの行為をきちんと見ていてくれた結果だと思う。

退院当初は、君はベッドから自力で起き上がれなかった。 必ず私の支えが必要だった。それが一年経って今回の圧迫骨折で入院するまでは、私のほんの少々を手伝いで君はサポート無しで立ち上がれるようになった。 ベッドから起きることができるようになった。

毎日毎日、朝起きて、私と一緒に飽きずに30分から45分 ストレッチ、リハビリをやってきた。毎日毎日だ。しかも君は1度も嫌な顔をしなかった。そして、週2回のデイサービスに行くことも、 デイサービス所からの週2回の訪問リハも、私が個人的にお願いしている週3回の理学療法士のリハビリも、君は全く嫌な顔をせず取り組んだ。 この路線に関わっている皆さんを信頼し、私たちはやってきた。食事も私が作るメニューを嫌な顔せず、「ワー美味しそう。」と言って君は喜んで食べてくれた。

退院後の一年の間には、私からすると、「なんで、なんでこんなことができないの。」という思いが生じることも正直何回もあった。 この時こそ、中西先生の「焦るな。信じろ。前を向け。常に明るく歩まれたし」この言葉を思い、私の弱い気持ちを抑えた。

ケアマネさんがいろんな家庭を訪問するが、「小山さんのように待てる人は誰もいないし、見たことない」と言われた 君の足が1歩前に出ない。昨日は出たのに。さっきは出たのに。この短気な私がそれを冷静に見られる。 逆に秀子の脳に向かって静かに「よろしくね。お願いね」と心の中で言う。こんなことを繰り返していると、一層君が好きになる

普通の人や以前の私なら怒鳴っていたと思う。「さっきはできたじゃないか。サボるな。きちんとやれ」というセリフが出たはずだ。

でも、私は1年間このセリフを言わないことに耐えることができた。自分でも不思議だ。

「全一統体の原理」なのだ。現実には足が1歩出なくとも、君の体の中では一歩を出そうとしているのだ。見えない世界で戦っているのだ。なら、私は今、その世界を明るく受け止めよう。 私が怒っていれば、見えない世界で戦っている秀子も暗くなってしまうのだ。

本当に倫理の実践を秀子を通して学んだ。だから私は強くなった。今は強い言葉はほとんど発しない。

会社のスタッフにも同じだ。秀子のおかげで私は一皮剥けたようだ。 75歳になって向けていては遅い気もするが、生きているうちに剥けてよかった。君のおかげだ。 君は自分の体を呈して、私にこのことを教えてくれたのだと思う。

「ありがとう。ごめんね。」私を変えるために、秀子は自分の人生を大きく変えてしまった。

私は秀子に対する愛情がさらにさらに大きくなっていく。毎日、毎時間、君のことが頭から離れない。

先日上田の上場企業の社長さんから「小山さんをここまでつき動かす原動力はなんですか。」と尋ねられた。ちょっと恥ずかしかったが、「愛。 妻に対する愛情」だと答えた。どんな状態になっても、私が君に対する愛情は ますます深まっていく。最近の私はとみにそう感じる。食事、物販の購入、仕事、全て君がまずベースで、君が喜ぶか、が判断基準だ。

最近コンパクト型のステレオを買った。10万円もしたが惜しくない。 君に少しでもいい音を出すステレオでいい音楽を聞いてもらいたいから。月曜日に退院したらすぐ聴こう。フジコヘミングさんのカンパネラをまず聞こうか。君の好きな倉島千代子さんか。

とてもいい音だよ。

いよいよ退院。もう、嬉しくて嬉しくて仕方ない。

今日は敬君ファミリーが来る。本来なら君がいるのが当たり前なのだが残念。マレーシアに渡る前はもう一度来れると思う。それまで我慢してね。はるちゃんはだんだんとお姉さんっぽくなってきたね。 マレーシアのインターナショナルスクールで頑張っているから、私たちも孫に負けないように頑張ろうね。

この手紙もついに今日と明日の2回だけになってしまった。昨年の139通書いたことを考えれば、今日で8通目、明日で9通目で終わる。ちょっと残念だが、短いのはそれだけ早く君が私の元に帰ってくるということ。

今日は残念ながら土曜日。面会は禁止で君に会えない。この手紙だけ届けるね。

この手紙が読めるといいね。面会の代わりにしてね。今日も熱くなりそうだ。

はるちゃんとどこに行こうか。日中は熱射病が心配なので家でゆっくりするのが1番いいが、活発なはるちゃんなので家にとどまっているかどうか。

では、君の顔を見えるのは明後日だ。月曜日だね。

今日も一緒だよ。頑張ろう。秀子

令和6年6月15日土曜朝5時44分

秀一

秀子様

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