後継者問題?


アスクはまもなく33期が終わる。数字は残念ながら踊り場。
しかし、この程度の踊り場は苦でもない。もっと苦しい場面は、過去何回もあった。


最大の苦難は、設立5年で年商が1億しかない時に、1億円近い借金をして外国ビジネスの日本展開の権利を購入した時だ。
しかも、社屋の土地購入と建物建設のために、借金まみれになっていたにも関わらず…。


5年間の七転八倒。血の小便の経験を積みながら、事業そのものを売却し、なんとか命はつなげたが、その後その大借金の負債を背負い、濁流を泥舟で上流に向かって必死に漕ぎ続けた。よく転覆しなかったものだとつくづく自分の強運に感謝する。その間のスタッフの汗まみれの努力の賜物なのだが、当時は感謝の念は全くなく、当たり散らしていた自分が恥ずかしい。


ニッチもサッチもいかなくなった時、東京で就職している息子にシグナルを送った。
「相談したいことがあるから、会えないか」と。

プライドの高い父親が、切羽詰まった声で電話してくるものだから、息子も困惑し、「本当にほかの用事のついでに会いに来るのではなく、自分に会いに来るのか」と不信に思ったようだ。「なら、大宮まで出るから大宮駅で会おう」ということで、ある日曜日、大宮駅で息子と会った。


会社の窮状を切々と訴えた。息子は、顔色ひとつ変えず、合いの手も出さず、押し黙って聞くのみ。30分位話しただろうか…。

要点は2つ。

1. 会社を手伝ってくれ。

2. あるだけでいい、金を貸してくれ。


あの強気な父親が、こんな相談をしてくるなどとは想像だにつかなかったようだ。私の話を終え、沈黙の氷つく時間が流れた。
15分位の沈黙時間だったかもしれないが、私には30分以上に感じられた。

息子は、ようやく口を開いた。
「わかった。いつでも振り込むから、口座番号を教えてくれ。…しかし、会社に来てくれということに関しては、違いやしないか。お父さんの会社には、スタッフがいる。お父さんなり、会社なり、会社の仕事なり、何らかに惚れて入ってきているのではないか。その人達が会社の面倒をみるのが筋ではないか。申し訳ないが、僕は違う道を歩んでいる。その僕が、自分の道を捨てて戻ることはあり得ない」。

翌日、息子は母親に会社の銀行口座を教えてくれと言ってきた。母親は、何の意味かもわからず、聞いてきた。

あれから20年。息子は今、商社で、やれ南米だ、メキシコだ、サウジだと言っては、世界を飛び回っている。
生まれてまもない一人娘に後ろ髪をひかれる想いで…。

アスクは踊り場ではあるが、その後、プロパー社員が立派に育ってきた。
後継は、プロパー社員に任せてもOK、全く違う分野からスカウトしてもOK、と会社の財政状況も仕組みも整ってきた。
若いスタッフも今、毎週、『小山マーケティング塾』で鍛えられている。

「後継者問題」は、必ず経営者の考えた通りになる。その時期は、遅くも早くもない。必ずその企業に合う時に来る。
「解決できる」と私は確信している。私の持論だ。